アラビア文化を学び、
石油業界へ

私がコスモに入社したのは、1991年です。大学では、技術や経営ではなく、古代エジプト史を学んでいて、同期の中でも変わっていたかもしれません(笑)。アラブ系の文化がとても好きで、入社してからも、エジプトやシリア、ヨルダンやトルコにも旅行に行きました。自分が学んできた世界に少しでも関われたらいいな、と漠然と考えていた時に「石油業界」という選択肢もあるな、とふと考えたことがきっかけで、コスモと出会いました。約30年前からコスモは女性の採用に積極的で、採用担当の方も当時では非常に珍しく、女性でした。説明会や面接で出会う人々の人柄や、そこから感じる社風を通じて、自分に合いそうだと思い、入社を決めました。

入社して最初の配属は、人事部の採用教育担当でした。せっかく石油の会社に入ったのに、「石油に何も携われていない」というコンプレックスはありました。ただ、採用は学生としての経験や当時自分が考えていたことや感じていたことを活かせる仕事です。また、自分が受けた時の採用で関わった人たちが上司・先輩ということもあり、周囲の方々にも恵まれました。当時の採用の仕事は、会社説明会に何人呼べたか、採用目標人数に達したか、というような数値目標が明確にある仕事だったので、思っていた通りの成果が出せたか、伝えたかったメッセージが伝わったか、というモチベーションを持って仕事を楽しめました。

また、採用の仕事を通じて、技術系・事務系、営業や製油所の人たち等、社内の様々な仕事をしている方と出会えて、それぞれの仕事内容を知る機会を得られたことは、後々の自分の仕事にとても生きた経験でした。私が採用を担当していた頃から、コスモは伝統的に採用活動に対して各現場がとても協力的・積極的です。採用に関わるとどうしても業務が増えてしまうのですが、「自分たちの未来の仲間を採用するんだから」という姿勢で参加してくれていたのは、とても印象的です。

採用、販売、物流、
仕事は繋がっている

3年間、採用教育担当の仕事をして、その後サービスステーション部(現在のコスモ石油マーケティング)に異動しました。サービスステーションに設置する販売促進グッズの企画をしたり、TVコマーシャルの撮影に立ち会ったり。採用時代もコスモとはどんな会社かを「応募者に」伝える仕事でしたが、今度は伝える対象が「お客様」に変わりました。そこでも3年間仕事をしたのですが、コスモのサービスステーションが全国のどこの場所にあるのか、というデータ管理の仕事も任されていました。その仕事をきっかけにして、今度は国内物流のシステム担当という情報系の仕事をすることになりました。当時はホストシステムというものがあって、物流のデータをなかなかみんなが自由に見られる時代ではなく、ユーザー視点に立ってデータを見やすいように加工して、各支店にデータを提供するような仕事をしていました。また、2000年前後は、まだインターネット黎明期で、特約店にある専用端末から燃料油の配送依頼を入力してもらっていた時代だったのですが。それをインターネットに切り替えていこうというプロジェクトも担当しました。

ここまでのキャリアを振り返っても、「繋がっている」という感覚を当時から持っていて。部署名だけを振り返ると脈絡なく見えるのですが、違う分野で新しい仕事に取り組む時にも、やっぱり過去の経験が活きていました。採用から販売促進へと移っても、やっぱり「伝える」仕事ですし、採用の時に社内のいろんな部署の人と関わりを持てたことは、販売促進以降の仕事でも本当に財産になりました。販売促進、営業という立ち位置から、「どこでどうやってお客様にサービスを届けているのか」という全体像から、「お客様一人ひとりにどんなサービスを提供しているのか」という具体的なシーンまでを見ることができたことによって、今度は物流においてどんなデータやどんな支援が有効か、と考えられるようになったと思います。

ダイバーシティ推進室長、
総務部長、新たな挑戦が続く

中央研究所の研究業務グループ長として管理職になり、その後販売部商品開発グループ、販売部の東京サポートセンター長を経験した後、2015年にダイバーシティ推進室長という仕事を担当しました。2015年当時はまだ「ダイバーシティ」という言葉も、ようやく使われ始めた段階でした。コスモがホールディングス化をしていく前後の時期で、会社としてダイバーシティ(多様化)の実現に向けて積極的に取り組んでいこう、というプロジェクトを推進する役割として、ダイバーシティ推進室が立ち上がりました。様々な価値観を持つ個々の社員が、お互いに尊重し、お互いを受容することで、それぞれの強みを活かせる会社であるように、というメッセージはもともとコスモが持つ風土ともマッチしていたと思います。実際に仕組みや制度を作っていくという立ち上げの草創期を担当しましたが、「難しかった」というのが正直な感想です。総論は賛成、だけれど各論を検討する段階になると、実際にどうやって仕組みとして働き方の多様化を実現していくか、各所で侃々諤々の議論を重ねました。個人的には「もっとこんなこともできたんじゃないか」「もっとあそこまで進められたんじゃないか」という思いが残っていますが、一緒に推進してくれたチームメンバーとともに、変化のスタート地点は創れたと思います。

その後、人事部門を経験した後、現在のコスモエネルギー開発という会社に異動しました。企画部長を経て、現在は総務部長を務めています。コスモグループの中で「原油開発」の役割を担う会社で、アブダビやカタールの石油開発会社を統括している会社です。その中で、人事の仕事や、CSRやSDGsに関わるプロジェクトの統括推進をしています。アブダビやカタールの石油開発は、世界の中でもコスト面での競争力が非常に高く、「脱炭素」という流れの中で今後石油の需要自体が落ちてきたとしても、質が高くコストの低い原油を供給していくことができます。また、脱炭素という文脈では、EVや風力や太陽光が注目されていますが、石油開発の基となる地下の技術を活かしていく道もあります。CCS(Carbon Dioxide Capture & Storage)という技術は、排出した二酸化炭素を地中に埋め戻す技術で、脱炭素化に向けて大きな期待を集めています。また、地熱による発電にも地下掘削の技術を活かせる可能性があり、コスモエネルギー開発は大きなポテンシャルを持った会社だと自負しています。エネルギーの未来について、高い志と技術を持って、先陣を切って進んでいってくれる人たちが集まる会社なので、彼ら彼女らが思い切って挑戦していける環境をつくっていきたいと思っています。私自身が、人事やダイバーシティ、業務改善やシステムなど、様々な経験をさせてもらってきたので、その経験を活かして、働きやすく、働きがいのある会社を創っていくことが、私の新しい挑戦だと思っています。

変化も軋轢も恐れずに、堂々と

振り返ると、本当にいろいろな仕事を経験してきました。全ての仕事が今に「繋がっている」と思いますし、「繋げる」という意思を持つことが大切じゃないかな、と思います。一つの仕事へのこだわりはとても大切だと思います。一方でいろんな仕事、いろんな立場があって、今いる場所だけでは見えない景色もある、と思います。大きな組織で仕事をしていると、やっぱり異動はつきもので、ずっと同じ仕事を30年している、という人の方が少ないかもしれません。新しい分野での仕事をする度に、前の仕事との「繋がり」を感じてきましたし、「繋げる」という意思を持って仕事をしてきました。管理職になったから、部長になったから、といって今までの経験だけで仕事ができるとは思いませんし、そんな時代でもありません。環境は変化し、事業は変化し、組織も変化していきます。いつも新しい挑戦があり、その最前線で挑戦をし続ける自分でありたいと思います。だからこそ、「積み上げたキャリアの上で楽をする」という感覚ではなく、「キャリアを繋げて、今ここで自分が出せる最高のパフォーマンスを」という気持ちで仕事をしています。

課長や部長になった時に苦労したことは、「戦うこと」かもしれません。ちょっと表現が難しくて、「喧嘩しよう」とか「揉めよう」ということではありません。管理職になり、課や部を代表する立場になると、どうしても課や部においてそれぞれ優先することがあり、別の課や部とぶつかることもあります。私自身の性格的に、「人とのいい関係を保ちたい」という思いがあって、難しい依頼や交渉が苦手、という弱みがありました。でも、全方位に優しく、というのは難しく、ちゃんと主張しなければ、会社・部・課のメンバーが苦しむこともあります。瞬間的に関係に波が立つことを恐れずに、堂々と主張することはとても大事なことだと思います。ぶつかっているように見える状況でも、視界を上げれば、目指しているものは同じはず。意見の相違を恐れず、向き合い続ければ、より深い信頼関係を築くことができます。女性だから、男性だからというのは、関係なく、リーダーという立場を担う限り、「優しさ」と同時に「強さ」が必要になるのだと思います。

変化を恐れず、仕事を繋げていく意識を持ち、目の前の仕事を楽しむ。軋轢を恐れずに、堂々と主張して、より深い信頼関係を目指す。きっと私のキャリアにもまだまだ変化が訪れるのだと思います。変化を楽しみ、挑戦し続けるキャリアを、これからも歩んでいきたいと思います。

※本記事中に記載の肩書きや数値、固有名詞や場所などは公開当時のものです。